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「自分のために働かない。」人と向き合い、本質を問い続けてきた料理人生50年。

「人があって、自分がある」「食べ物には文学が必要」「手間そのものが売り物」。鈴木先生の言葉には、50年を超える料理人生の中で培われてきた、仕事と生き方への哲学が宿っています。料理をつくるだけでなく、人を見つめ、場所を整え、食材や文化の背景まで考える。その歩みをたどりながら、鈴木先生が大切にしてきたものを伺いました。

鈴木直登
株式会社東京會舘 日本料理顧問  
Thema:人のために働く生き方

Q1. 人生の転機

鈴木先生にとって、人生の転機となった出来事は何でしょうか。

一番は、15歳で東京に出てきて1人で生活したことじゃないですかね。僕は片田舎の小さな集落で生活していたので、学問もそんなに好きじゃなかったと思うんです。学歴とか、そういうこともあまり考えたことがなかった。
 それよりも、とにかく働けばお金になるだろうと。まず自分で働いて、お金を稼ぐことの方が、自分の中では大切だったんですね。

それは、物心ついた頃からそういう感覚だったのでしょうか。

中学校を卒業した15歳の頃には、すでにそうでした。卒業した次の日には東京に出てきましたから。一日も休むことなく。

卒業の翌日に東京へ行くということは、決めていらっしゃったんですか。

一日も無駄にしないように、っていうことで計画的に来たんですよ。とにかくお金がなかったから、働けば賃金をもらえると思っていた。それしか考えられなかったんです。
今のように情報がたくさんある時代でもなかったので、世の中がそんなに見えていなかった。

東京での就職が、そのまま料理の道ではなかったんですよね。

そうですね。最初の2年くらいはいろいろな仕事をして、その後、一般の工場に3年くらい勤めました。そこで初めて分かったんです。会社というのは、勤めれば勤めるほど学歴が関係してくるんだなって。
 僕が一年かけて積み上げたものがあっても、その年に大卒の若い子が入ってくれば、最初から給料が違うんですよ。その時は「理不尽だな」とも思いましたけど、社会ってそういうものなんだな、と。

 そこで、自分には学歴とは別に、技術が必要なんだと思ったんです。人に負けないものを持たないと、お金にはならないなって。

「手に職を」と考えて、料理の世界を選択されたのはなぜですか。

もちろん手に職といってもいろいろあって、今だったら、壁紙の専門家になろうとかあるでしょうけど、当時はそんな知識もないわけです。
 その中で、一番見えやすかったのが「食」。

 食の仕事なら、まず自分が食べることには困らないでしょう。もともと嫌いでもなかったですしね。
芸術家とか陶芸家とか、いろいろな仕事もあるんでしょうけど、「好きなことだけでは食べていけない」という感覚もありました。だったら、自分が食べていける技術を持とうと。

もともと、料理や「食」には興味があったんですか。

あったと思います。料理をやりたいなと思ったことはありました。ただ、そういうチャンスがなかった。
 僕は小さい頃から、日本だけじゃなくて世界に出てみたいという気持ちがあったんです。でも、世界に出るには何かを持っていかないといけない。僕が持てるものは何だろうと考えたら、料理だった。 料理ができれば、船に乗ることもできるし、外国のレストランで働くこともできる。世界へ出ていくには、一番手っ取り早い仕事なんじゃないかと思ったんです。

Q2. 失敗や挫折

料理の世界に入られてから、精神的に一番きつかったことは何でしたか。

工場に勤めていた頃は、労働組合なんかにも入っていたんですよ。会社だったら、仕事をしたからといって「ありがとうございました」なんて言わないでしょう。賃金をもらって働いているんだから、それが当たり前だった。

 でも、料理の世界は違うんです。

 誰かに何かを教えてもらったら、「ありがとうございました」。仕事が終わっても「ありがとうございます」。そういう縦社会というか、徒弟社会なんですよね。親分が白だと言えば、黒でも白。赤だと言えば赤にならなきゃいけない。普通のサラリーマンとは、ちょっと毛色の違う世界でした。

働き方そのものも、かなり違いましたか。

全然違いましたね。今みたいにタイムカードを押して、「ここまでが仕事」という時代ではなかったですから。
僕らの頃は、終わるまでが仕事。何時から何時までなんていうものはなくて、みんながいなくなれば終わり。80時間とか100時間とか時間外で働いても、なんてことないような時代でした。
 東京會舘に入った時も、だんだん人が辞めていって、1年半後で残ったのは僕一人でした。

それだけ厳しい環境の中で、鈴木先生はなぜ続けられたのですか。

まず、片田舎から丸の内に出てきたら、まったく違う世界だったんですよ。こういうところに勤められる人って、そんなにたくさんいるわけじゃない。入りたくても入れない人がいるという話も聞いていました。
 僕は専門学校の理事長と校長先生の推薦で入れてもらったという縁もあって、最初から調理場に入れてもらえるという待遇だったんです。もう20歳を過ぎていましたからね。早く現場に入って、技術を身につけなきゃいけないという気持ちもあったんです。大卒になるような年齢になると筋肉が硬くなって、技術が追いつかなくなる。
 だから、少しでも早いうちに手に職をつけたい。そうすれば、一つずつ上に上がっていけるだろうと自分なりの予測がありました。

それでも、心が折れそうになったことはありましたか。

何回もありますよ、実際は。自分の親方と仕事をしていて、死ぬほど怒られたこともありました。でも、それで「辞めよう」というのは、ほとんどなかったですね。自分が尊敬していない人から理不尽なことを言われると、「それはちょっと理不尽だ」と感じたこともある。それに、よその芝生はよく見えるでしょう。「あそこへ行けば、もっといい待遇で働けるんじゃないか」とか、そういうことは自分の心の中にもたくさんありました。

 でも、自分の中に一つ信念があったんです。一個のところで成功しないものが、次に行ったって成功しない。だから、一個ずつ、一個ずつ上っていこうと。
それが一番大切なんじゃないかなというのは、長い間ずっと持っていましたね。

いつか東京會舘の総料理長になろう、という思いはあったのでしょうか。

いや、全然思わなかったです。トップになろうなんて、考えたこともなかった。僕は、自分の役目は2番でいることだと思っていたんです。参謀でいると、絶対に光る人間だと思っていたから。

それは、いつ頃から思っていたんですか。

どうだろうね。ここに入って間もないくらいの頃じゃないかな。
 自分があって人があるんじゃなくて、人があって自分があると思っていたんです。

 人のために動けば、必ず自分のためにもなる。

 だから、どんなに小さな頼まれごとでも、どんなに小さなことでも、ちゃんとやり遂げる。その方が何倍も大切だという感覚は、小さい頃からあったと思います。「悪いね、頼んじゃってね」とか、「よくやってくれるんだよ」と言ってもらえることの方が、自分にとっては褒め言葉だった。
 自分が生きるためでもあるんだけど、それ以上に、人のために生きることの方が大事なんじゃないかな。そういう考えは、ずっと自分の中にあったと思いますね。

Q3. 影響を受けた人物

これまで料理の道を歩んでこられた中で、特に影響を受けた方はいらっしゃいますか。

何人もいますけど、やっぱり自分の親方もそうですし、東京會舘の前の部長だった中川三郎さん。それから、伊勢志摩の観光ホテルにいた高橋忠之さん。この方たちの影響は大きいですね。中川さんは、「現代の名工」を日本で一番最初に取った人なんです。僕が入った頃には、ここの調理部長をやっていて、「俺もああいうふうになるんだな」と思いながら見ていました。

目指す姿の方だったんですね。

そうですね。6時半くらいになると個人タクシーが迎えに来て、若い衆が裏玄関まで送っていって、「じゃあね」って帰っていく。「こんな世界があるんだな」と思うわけですよ。別に、タクシーで迎えに来てもらいたかったということじゃないんです。自分が努力すれば、絶対ああいうところまで行けるんだろうなっていう。現実にそういう人を目の前で見ていたというのは大きかった。

あと、伊勢市の観光ホテルの高橋さん。どちらかというと学者肌の人だったんですよ。物事の本質を、最後の最後まで探る人。「かっこいいなあ。これだよなあ」と思っていました。講習会を聞いていても、「なぜこうなったのか」をちゃんと説明できるんです。
 そういう料理人って、いそうで、なかなかいないんですよ。
例えば、なんで貝には二枚貝と巻貝があるのか。それをちゃんと説明できれば、サザエを使うにしても、ハマグリを使うにしても、そこに意味が出てくるでしょう。
そういうことを説いてくれる人。

料理の技術や味だけではない、ということですね。

そうです。味なんていうものは、人間の体調によっても変わりますからね。
それだけじゃなくて、食材の物語をちゃんと知っている。どんな環境で育ったのかまで話すことができる。
そういうものが、素晴らしい料理につながるんじゃないかと思うんです。

 高橋さんは伊勢志摩という神様の土地で育っているから、講習会の時は神事の話から始まるんですよ。いろんなフランス料理の人がいるけど、「この人はちょっと違うな」と。髙橋さんが仕事をほとんど辞める頃になってから、よく一緒に海外へ行っていて、台湾とか中国、タイに行った時には、夜ずっと飲みながら神事の話をしてました。若い頃から「かっこいいなぁ、こんな人になりたいなぁ」と思っていた人と、晩年に一緒に語り明かせたというのは、ありがたいことですね。

料理のジャンルを越えて、いろいろな方と交流されてきたんですね。

そうですね。料理屋さんの板前さんもいれば、レストランの料理人もいる。僕らみたいな会館の料理人もいる。
 それぞれ、生き方が違うんですよ。
いろんな人と付き合う中で、ある時「同じじゃなくていいんだ」と思ったんです。自分には自分の生き方があって、その道を歩いていけばいいんだなって。

 「いい職人になりなさい」と言う人もいるし、「職人になりなさい」と言う人もいる。それぞれ考え方が違う。そういういろんな人たちに会うことそのものが、自分の生き方をつくってくれたんじゃないかなと思っています。
 人を羨ましく思うことはないけれど、「俺もああいう人のような人生を送れたらいいな」と思う。まったく同じ人生は送れないんだけど、その人のいいところを少しずつ剥ぎ取って、自分の中に入れていこうと。

Q4. 習慣や心構え

仕事をするうえで、大切にしている心構えはありますか。

まず一番は、自分のために働かないこと。人のために働くということです。
 二番目は、自分が働いている場所を、自分の家だと思うこと。住んでる家じゃなくて、自分が働いているところが、自分の家だと思わないとだめってこと。

それは、新入社員でも、トップでも、立場に関係なく同じですか。

同じです。みんなが社長になれば、会社は盛り上がると思うんです。自分が社長だと思えば、なんの苦もない。

 僕は経営者になろうなんて思ってないし、経営者になれるわけもないんだけど、でも自分が社長のような気持ちで勤めていれば、「この会社に必要な人間になるはずだ」と思って、今もずっとここで働いている。歩いていて汚れているところに気付くとか、トイレに入ってドアノブから変な音がするなとか。玄関を見て、「ここ汚れてるよ。誰か行った? 早く行ってこい」とか。
そういうのも、我々の仕事なんです。

 ここはお客様に対しての心遣いなので、絶対に失敗できない。料理なら、作ったものを見て「これはやり直し」と言うこともできるけれども。朝来た時に玄関が汚れていることに気づけるくらいの余裕がないといけない。
 僕はそれが会社で仕事をする時の、一番の美徳だと思っています。

厨房で包丁を握っている仕事以外の部分が、料理人にとって大事ということですね。

書を書く人って、自分のことと関係ないけれど、紙漉きを見に行くんですよ。書を書くために、画材になる和紙をちゃんと見届ける。墨も必要だし、硯も必要。そうやって、いろんなものが重なっていく。

 料理も同じ。そういう、ものを作ってる人とかものを描く人っていうのは、みんな一緒だと僕は思うんです。

Q5.「生きる」とは

鈴木先生にとって、「生きる」とは何でしょうか。

起きること。
生きているというのは、起きていること。目を開けて起きていることですね。

何かをするではなく、自らの力で「起きていること」そのものなんですね。

そうです。生きるというのは、自分だけでは生きられない。だから、誰かのために、人のために生きることが、最善の生き方だと僕は思うんです。もちろん、それが最後は自分にも返ってくるということは分かっているんですけどね。
 それと僕らは食を扱っているから余計にですけど、まず人を健康にするためには、自分が病気にならないことがすごく大事。病気の人が病気にならない料理を作っていても、意味がない。生きているということを自分の体の中にちゃんと植え付けた上で、人に施していくということが生きるには大事なこと。

 よく、運命とか運とか言うでしょう。これは、なかなか自分で運べるものではないけれど、日々の自分の考え方によって、良くもなるし、悪くもなるんじゃないかと思う。
僕の場合は、人のために生きたら絶対自分のためにもなるっていうのを信念として、自分の日々の考え方にしています。

 国の国力っていうのは、食料の力なんで、食の力で世界が決まるんだって。国力を上げるのには、武器弾薬じゃなくて、食料なんです。だから、農業をやってる方たちを支援してあげることも大事になってくる。肥料がたくさん入ったり、化学肥料が入ったものをたくさん食べて、本当に健康にいられるかっていうと、なかなか難しいと思うんです。食料を食べないで点滴だけで、ずっと生きてるって、健康なわけないでしょう。でも同じようなことしてるわけです。
 人間っていうのは、噛んで、初めて栄養が体の中に回っていくんです。人間の機能っていうのは食べることで、少しの栄養でも少しずつ、少しずつ毎日蓄積されていくもの。何か一つだけ取ればいいとか、効率よく栄養だけ入れればいいという話じゃないんです。
 先日、イタリアンに行ってきたんですよ。ヨーロッパは、じゃこや鰹節でカルシウムを摂っているわけではなく、野菜で摂っている。でも、日本の野菜だと摂れない。だから、かつおぶしなどを掛けるんです。ヨーロッパの土と日本の土って、大きな違いがあるんです。
 喜多川歌麿や歌川広重の絵の中に、ミケランジェロみたいなゴツゴツした筋肉の絵なんてないでしょう。結構ひょろっとしてる。なぜかというと、それが日本人の特徴なんですよ。
 つまり、物事の本質を日本人がちゃんと見るっていうことが、とても大事なことだと思います。

Q6. 若者に伝えたい言葉や想い

ここから先の世代、若い人たちに伝えたいことはありますか。

栗もタンポポも、そんなに進化していないでしょう。江戸時代から栗は栗。人間が品種改良したり、植える場所を変えたりすることはあるかもしれないけど、栗そのものは変わらない。ということは、素材そのものをちゃんと理解して作ることができる、育てることができる、守ることができる。そういう人間を育てることが、未来の育て方じゃないかって僕は思うんですよ。

そして、僕が特に大事だと思っているのは、水なんです。人間って、水が生命の源なので、日本人に合うきれいな水をずっと保って、飲み水として持っていられるかが一番大事なこと。そのためには水源も守らなきゃいけないし、自分たちも汚しちゃいけない。飲料水というのは、地下に何万年もかかって一滴一滴と溜まって地下から上がってきた水のこと。その水が石油よりも無い状態。
 ほとんど世界の食べ物は、水で決まっちゃう。だから僕が未来の人に頼むのは、そのきれいなお水を守ってって。お札をいくら持っていても、喉は潤わない。お水っていうのは人間の尊厳にあたるので、未来の人たちに大事なんじゃないかなと思う。
 きれいな水があって、きれいなところに住んで、そこで健康に暮らせる。人間の幸せの中では、それが一番だと思うんですよ。

 僕が一番大事にしているのは、命と、友達。これ、お金で買えないんですよ。「金出すから、ちょっと俺と友達になってくれよ」って、そんな友達の作り方ないでしょう。 健康もそれと同じ。大体60歳過ぎると、2人に1つはどっかの疾患性の病気になる。 これは食べ物で決まる。僕は今七十過ぎだけど、悪いところってほとんど無いんですよ。健康でいられるっていうことは、何にも変えられない。
 だから、未来に託すものは、精神も含めた健康ですね。

Q7. 読者に向けたメッセージ

最後に、この記事を読んでくださる方へ、何かメッセージをいただけますか。

日本の人口はだんだん少なくなっていくでしょう。でも、それは悪いことだけじゃなくて、もっと集約した小さな社会をつくっていく方が向いているのかもしれない。大きな社会をつくることより、小さくても強い社会をつくる方が僕は大事だと思っているんです。
 これからは、そういうことに目を向けてもいいんじゃないかなと思います。これから何か新しいものをつくること以上に、何が失われていくのか。今あるものをちゃんと見つけて、それを集約して、ずっと継続させていくことの方が大切なんじゃないかなと思います。

 今はほとんど経済が先行しているから、経済にならないとやめちゃう。経済を犠牲にしてまで、ものづくりをする人が少なくなった。そうすると、ロマンのあるこの食の仕事ができなくなってしまう。もっと日本の食べ物っていうのは、文学があったり、ロマンがあったり、余韻のようなものがあるべきものなんだけど、どうしても経済に押されていくと、それが無駄だってなってしまう。
 本来は日本の食べ物っていうのは無駄を無くすようにするんだけど、その無駄が別の方面で無くなっていく。 そこがちょっと寂しいっていえば寂しいですね。

便利さも大事ですが、非効率な部分も大事ということですね。

ちょっと時間をかけるとか、手を掛けすぎたところとか、そこが栄養になるんです。うちの社長にも、「この会社のいいところは無駄なところ」と言うんです。「そこまでやらなくてもいいんじゃないの?」と思うようなところに手を掛ける。でも、それがよそがやっていないことで、大事なところ。

 僕らは宝石を売っているわけじゃないし、ダイヤモンドを加工しているわけでもない。手間そのものが、自分たちの売り物になるわけです。
 食べ物は味だけではなく、文学っていうものを入れれば、必ず美味しく感じるはずなんです。
 ここが大事なんじゃないかなとは、僕はよく思うんです。

 今回のお話を通して、料理とは、ただ美味しいものをつくることではなく、食材や作り手、その背景にある物語や文学まで含めて成り立つものなのだと感じました。そして、料理をつくることだけではなく、自分がいる場所や、関わる人・ものを大切にすることも仕事の一部であるという姿勢が、とても印象に残りました。
 「自分のために働かない」「人のために生きたら、絶対に自分のためにもなる」その信念のもと、常に物事の本質を問い、今いる場所をより良くするために、自分自身を高め続けてこられた鈴木先生だからこそ、料理という枠を超えた深さがあるのだと感じました。
 便利さや効率が求められる今だからこそ、何を減らすかではなく、何を残すのか。人や仕事、文化を育てるために必要な「余白」と「手間」の意味を、改めて考える機会をいただきました。

鈴木直登

株式会社東京會舘 日本料理顧問  1974年より東京會舘「日本料理八千代」に勤務。 現在も東京會舘日本料理顧問として後進の指導に当たる。 2009年東京都優秀技能者「東京マイスター(江戸の名工)」受賞、 2013年厚生労働省「卓越した技能者(現代の名工)」表彰、 2014年文化庁長官表彰、2019年黄緩褒章受章。 著書に 「東京會舘おせちと節句料理」 「東京會舘100周年記念 料理人生50年 鈴木直登」

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